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8/5(水)にbayfm78「with you」の放送がありました。

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8/5(水)にbayfm78 with you
この夏、あなたとよりwith youしたい想いを込めてスタッフが総力を挙げてリサーチした街の人気者、有名人、話題の人に最強サマーソングをクイズ形式で出題していただくスペシャル企画
「あなたの街からSUMMER SONG QUIZ」に出演させて頂きました。
本日の出題者は坂 茂治さん!(あなたの街からSUMMER SONG QUIZ)



原子力の歴史
1935年 - 湯川秀樹が原子核内部において、陽子や中性子を結合させる相互作用の媒介となる中間子の存在を発表。
原子力最初の開発は、ナチスと日本軍が研究を進めていたとされており、湯川秀樹も原子爆弾開発に関与したことが確認されています。
しかし、資金・資源に乏しく生産まで至れず、アメリカに情報が渡ったとされています。

1945年 - 世界最初の原子力実用化は、8月6日午前8時15分に広島(リトルボーイ)と8月9日午前11時2分に長崎(ファットマン)に投下された原爆でした。
そしてこの年、日本は敗戦し連合国より原子力研究が全面的に禁止されます。

1949年 - 湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞。

1951年 - アメリカは 世界初の原子力発電に成功します。
しかしその時の電力は1kW弱の200W白熱電球4個を光らせる程度でした。
破壊するだけの爆弾は簡単ですが、電圧をコントロールしなければならない発電は非常に難しいものがありました。

1952年4月 - アメリカでは発電は難しいと判断したのでしょうか・・・日本で原子力研究が解禁されます。

1954年3月 - 中曽根康弘・稲葉修・齋藤憲三・川崎秀二らにより原子力研究開発予算が国会に提出されます。

1954年 - 世界初の原子力発電所がソビエト連邦のオブニンスクで5 MWの発電に成功。

1954年 - 世界初の原子力潜水艦がアメリカで浸水。

1955年7月9日 - アインシュタインを中心に湯川秀樹などノーベル賞受賞者10人を含む第一級の学者11人が、米ソ水爆実験競争に対して核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えラッセル=アインシュタイン宣言。
この発表3ヶ月前にアインシュタインが亡くなっていることからアインシュタインが我々人類に放った遺言状「科学者平和宣言」と言われています。

1955年12月 - 日本で原子力基本法が成立し、全国に原子力利用の大綱が敷かれます。

1956年1月1日 - 原子力委員会設置。
初代の委員長は読売新聞社社主正力松太郎。

1956年6月 - 日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が特殊法人として茨城県東海村に設置され、日本の原子力研究の中心地となります。

1956年10月17日 - 世界初の商用原子力発電所がイギリスのコルダーホール発電所出力50 MW運転開始

1957年5月19日 - 科学技術庁設置。
初代長官正力松太郎となり、原子力導入に大きな影響力を発揮「原子力の父」と呼ばれるようになります。

1957年7月29日 - 国際原子力機関(IAEA)発足。

1957年 10月10日 - イギリスのウィンズケール原子力工場(現セラフィールド核燃料再処理工場)で世界初の原子炉重大事故が発生。
16時間燃え続け、2万キュリー(74万ギガベクレル=740兆ベクレル)のヨウ素131が500平方キロを汚染し、北欧にまで至る広範囲の海洋汚染も発覚。
避難命令が出なかったため、地元住民も含め一生許容線量の10倍の放射線を受け、白血病で多くの人が死亡し、現在も白血病発生率は全国平均の3倍もあります。
当時のマクミラン政権は公表すれば大きな問題になるので30年間極秘にすることにしました。
国際原子力事象評価尺度(INES)レベル5(事業所外へリスクを伴う事故)。

1957年11月1日 - 電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電が設立。

1958年5月26日 - アメリカのシッピングポート原子力発電所操業開始(1982年10月1日操業終了)

1963年10月26日 - 茨城県東海村に日本初の原子力発電「実験炉JPDR」が初発電。

1966年7月25日 - 日本初の商用原子力発電所が茨城県東海村東海発電所で運転開始。
その後も東海村JOCウラン加工施設やGNF-J横須賀ウラン加工施設、常陽、もんじゅなど核燃料再処理施設が建設されていきます。
使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する施設です。
この抽出されたプルトニウムは純度が極めて高いので、これまでにない威力のエネルギーを発生します。
六ヶ所村核燃料再処理施設では使用済燃料を3,000tまで貯蔵でき、更にウランとプルトニウムを年間800t処理できます。

1979年 - アメリカスリーマイル島原子力発電所事故発生。
国際原子力事象評価尺度(INES)レベル5(事業所外へリスクを伴う事故)。
希ガス(ヘリウム・アルゴン・キセノン等)約250万キュリー(92.5 PBq)、ヨウ素は約15キュリー(555GBq=5550億Bq)を放出。
周辺住民は0.01 - 1mSvの被曝。

1986年4月26日1時23分 - ソビエト連邦ウクライナ共和国でチェルノブイリ原子力発電所事故発生。
国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)。
広島市に投下された原子爆弾(リトルボーイ)による放出量の約400倍とする国際原子力機関(IAEA)による記録が残されています。
当初ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れこの事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかったため市民は高線量の放射性物質を浴び被曝しました。
しかしスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にて高線量の放射性物質が検出され、漏洩、あるいは核戦争が起こったのではないかと考え、スウェーデン当局が調査を開始。
同様に近隣各国からも報告がある中、調査結果についてソ連は4月28日にその内容を認め、事故が世界中に発覚。
日本にも5月3日に雨水から放射性物質が確認されました。
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて47名とされていますが、事故の処理にあたった予備兵・軍人・トンネルの掘削を行った炭鉱労働者など1万人の死者を確認。
更に事故後の癌や白血病も急増しましたが、事故の影響による因果関係を直接的に証明する手段がないので科学的根拠のある死亡者数は特定できません。
長期的な観点も含め、数十万人が犠牲になっているのではないかと言われています。
2013年現在、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止。
原発から北東へ向かって約350km範囲内におけるホットスポット(高濃度汚染地域)約100箇所を中心に農業や畜産業などが全面的に禁止されています。

1999年 - 茨城県東海村JCO臨界事故によって3人の作業員が、人間の致死量7Sv(シーベルト)を超える最大20Svの放射線量を瞬時に被曝。
被曝者の治療経過写真やドキュメンタリー番組が放送され、広島・長崎の原爆以来、改めて原子力の恐ろしさを知ることになります。
中性子線・ガンマ線の他,1ヶ月間も放射性ガスが放出され、付近から放射性ヨウ素群も検出されましたが、汚染の範囲や量は発表されていません。
国際原子力事象評価尺度(INES)レベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)。

2004年 - 1993年から約2兆1,900億円の費用をかけて建設された六ヶ所村核燃料再処理施設が完成。

2005年5月9日 - イギリスのソープ核燃料再処理工場から高レベル放射性溶液が2004年7月から大量に漏洩していた事を発表。
国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル3。

2006年3月31日 - 六ヶ所再処理工場で使用済み核燃料約430tからプルトニウムを抽出するアクティブ試験開始。
試験は約17ヵ月間を予定していましたが、相次ぐトラブルのため本稼働を21回延長、予算も7,600億円の予定が2011年の時点で2.2兆円を超え現在も試運転中。

2011年 3月11日- 東北地方太平洋沖地震に起因する福島第一原子力発電所でチェルノブイリ原子力発電所事故を超える史上最悪の原子力事故発生。
原因が地震なのか津波なのかも未だ不明。
日本の原子力安全神話は完全に崩れ、初めて国民全員が原子力問題に直面します。
国際原子力事象評価尺度(INES)レベル7(深刻な事故)。

2014年12月現在 - 六ヶ所村核燃料再処理施設は2004年に完成して以来トラブル続きで未だに稼働していません。
茨城県東茨城郡大洗町にある高速増殖炉“常陽”(じょうよう)や福井県敦賀市にある高速増殖炉“もんじゅ”もトラブル続きで稼働しておらず、維持費も常陽は非公開、もんじゅは1日5,500万円かかっています。

考えなければならない核問題
日本には、“常陽”や“もんじゅ”などを含めた原子力施設は私が確認しただけでも75あり、建設費や維持費は相当な額になります。
日本は既に、使用済み燃料から抽出したプルトニウムを44t保有していると言われています。
原爆1発を作るのには4kg~8kgのプルトニウムがあれば出来ます。
44tのプルトニウムからは5500発~11,000発分の原爆が作れます。
もし六ヶ所村核燃料再処理施設が本格的に稼働すれば、年間800tの使用済み核燃料(ウラン)から約8tのプルトニウムを取り出す能力があるので、アメリカ9400発、ロシア13000発を抜いて世界一の核保有国になります。
2015年8月現在、稼働している原発は0基ですが、日本の電力は賄えています。
更に、太陽光・水力・風力の他に、洋上風力発電も竣工しています。
更に、宇宙にソーラーパネルを設置する計画もあります。
原子力発電だけでなく火力発電すらも必要がなくなり、すべて自然のエネルギーで賄えるようになります。
LEDやハイブリッドカーなどの省エネ開発と普及が続けば、更に消費電力は少なくなります。
それなのに敗戦国日本が原子力研究を進めなければならない理由は、世界中にこれだけ作ってしまった原子力施設からでた“核のゴミ”と言われる使用済み核燃料をどうするかが問題となっているからです。
どの国も核燃料を再処理する研究をしていますが実現できていません。
既にフィンランドなどは18億年間地震や火山に見舞われたことがない地下420mに使用済み燃料を廃棄して、ベントナイト粘土を流し込んで埋めてしまい、放射能力がなくなる10万年間貯蔵できる施設“オンカロ”を世界で初めて建設中です。
しかし、地中に埋めるにしても決して安全とは言えるわけではありません。
あくまでもその場しのぎの対策に過ぎません。
国内全ての核燃料棒を一か所に集中、地震・噴火・テロ・戦争など起これば大変なことになります。
今後も、地中などに一時保管する国は続出するでしょう。
宇宙に廃棄することも検討するのかもしれません。
今、世界中が日本の核処理研究に注目しています。
使用済燃料を3,000tまで貯蔵、ウランとプルトニウムを年間800t処理できる六ヶ所村の核処理施設では試験運転を続けながら使用済燃料から自然元素にない純度が極めて高い人工生成物質プルトニウムを抽出し続けています。
抽出されたプルトニウムは福井県敦賀市にある高速増殖炉“もんじゅ”の燃料になる予定なのですが、トラブル続きで1度も稼働したことがありません。
原発が稼働せず日本が核を保有することは国際協定に反することになります。
その為、プルサーマルをつくり福島原発に設置して再処理してつくられたMOX燃料を利用していましたが、2011年3月福島原発事故により廃炉が決まりました。
その他原発も稼働していません。
2018年に満期を迎える協定には「余剰プルトニウムを保有せず」との縛りがあります。
安倍政権としては2014年11月に運転開始を予定していた世界初のフルMOX装荷した大間原発が、
2021年に延期となり、米オバマ政権は日本の保持する純度の高いプルトニウム返還を要求しています。
プルトニウムはいつでも核兵器に転用できる経済です。
核を研究する為に核の保有が許された日本を守るのは、日本列島を摂り囲む54基の原発と21の核施設が戦争の抑止力になっています。
今や日本に限らず世界各国が侵略の為ではなく、大国からの防衛の為に核を保有するようになりました。
1914年の第一次世界大戦で化学兵器が使われるようになり、第二次世界大戦で原爆が使われるようになり、そして2015年、核は処理しきれない程に、世界を滅亡させる程に増えすぎてしまいました。
地球の歴史は45億年。
初めて原爆が投下されてから僅か70年。
人類は経った70年で世界滅亡の原因をつくってしまいました。
紛争や災害は拡大し続けています。
どうしようもない世界中の核を撤廃することは不可能と言われている中、さてどうすればいいでしょう?
戦争や災害のない世界はどうすればいいのでしょう?


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